介護体験記①
母の体に異常を感じたのは母が65歳の頃だった。
最初のけがは自転車で転倒しひじの粉砕骨折、その後も外で転倒を繰り返し
度々骨折をするようになる。
66歳の頃、家で派手に転び腰椎圧迫骨折。
立ち上がることもできなくなり、大きな病院に入院。
その頃、パーキンソン病の診断がおりる。
私は起業して3年目の頃だった。一個人として大切な時期だったが、
貧しい暮らしで働き通しだった母を守ることを優先順位の最上位とした。
母は小さいながらもそろばん教室を40年ほど続けていた。
教室は大変なことになっていた。自分と自分の会社のスタッフの力を借りながら、
何とか守ろうとしていた。
私がいるときは母と一緒に教室を行っていたが、ある日教務中に階段から転落。
もの凄い音がした。
「生命を左右する事故になる」
直感的にそう思った。
救急で大きな病院に運ばれ、手術となった。
かなりの麻酔を投与する。
せん妄状態となり、いろいろな幻覚を見る。
脊髄損傷の可能性もあり、残りの命が廃人のようになってしまう可能性もある。
その時、その状態の母から出てきた言葉。
自分の身体が命の抜け殻になってしまうようなときに一番最初に口にした言葉。
「お兄ちゃんの大切なときに迷惑かけてごめん。」
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